
第4回 京都大学 − 稲盛財団合同京都賞シンポジウム
http://kuip.hq.kyoto-u.ac.jp/
https://ocw.kyoto-u.ac.jp/ja/opencourse/181
2017年7月1日
[映画・演劇分野]
横仙歌舞伎こども歌舞伎教室 (Yokozen Kabuki Children's Workshop)
岡山県奈義町教育委員会
公演タイトル
「絵本太功記十段目 尼崎の場」
絵本太功記は、明智光秀が主君織田信長を本能寺で討った後、羽柴秀吉に滅ぼされるまでの経過を十三段に脚色した芝居です。初演は、寛政11年(1799)で、なかでも十段目の尼ヶ崎閑居の場は、時代狂言として人気があり「太十(たいじゅう)」とよばれ、よく上演されます。配役すべてに見せ場があり、一座の役者の割り振りにも都合がよい芝居とされています。明智光秀を武智光秀、羽柴秀吉を真柴久吉など実名を避けて役の名がつけられているのも歌舞伎の特徴の一つです。
尼ヶ崎の粗末な家に隠れて暮らす武智光秀の母・皐月のところへ、光秀の妻・操が光秀の一子・十次郎の許嫁・初菊を連れて来ていた。二人は謀反人を子に持ち夫に持った身の因果を嘆く。十次郎は許嫁の初菊と尽きぬ名残を惜しんで祝言の盃を交わし、討ち死にの覚悟で出陣する。
そこへ旅の僧が、一夜の宿を乞うてくる。その後をつけてきた光秀は、僧を真柴久吉だと見抜き、竹槍で障子越しにこれを刺すが、刺したのは久吉ではなく母の皐月であった。母の皐月は我が子の不忠不義を嘆き悲しんで死ぬ。そこへ十次郎が深手を負って帰り、味方の戦況の不利を伝えると、父の身を気遣いながら息絶える。光秀と久吉は後日戦場での再会を約束し、別れる。
(注: 時間の制約上、当日の公演は、伝統的なシーンの途中から、すなわち、光秀が旅の僧を真柴久吉だと見抜き、竹槍で障子越しに刺したところ、刺したのは久吉でなく、実の母皐月であったところから始まります。)
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